古田さんがスタイリストを志した’90年代のあの時代。
雑誌やメディアに関わる人たちは、とにかく情報に飢えていました。
西に新ブランドの報があればすぐに飛びつき、東に未知の良品がありそうならば駆けつける。
そんな時代に、古田さんは人伝にチャムスを知り、自身でもまたそこに夢中になりました。
当時の熱量を懐かしみつつ、古田さんが今思うこと。
雑誌やメディアに関わる人たちは、とにかく情報に飢えていました。
西に新ブランドの報があればすぐに飛びつき、東に未知の良品がありそうならば駆けつける。
そんな時代に、古田さんは人伝にチャムスを知り、自身でもまたそこに夢中になりました。
当時の熱量を懐かしみつつ、古田さんが今思うこと。
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古田ひろひこさん
1966年生まれ、岐阜県出身。スタイリストとして30年以上、ファッションシーンで活躍中。
現在は映画製作も手掛けている。
とにかく、しのぎを削るようにいろんなものを集めてたんです。
- ―――古田さんが初めてチャムスを知ったときのことをあらためて聞かせてもらえますか?
- 古田ちょうどフリーランスになって、スタイリストとして独り立ちしたころでした。 雑誌『POPEYE』の巻頭連載で『POPEYE』という新しいものを紹介するページがあって、アシスタント時代のころからとにかくそこで面白いものを見つけてこいっていう指令があって。
- ―――今も続いている企画ですね。
- 古田そこで師匠の祐真(朋樹)さんに「こんなのありました!」ってどんどん紹介してポイントを稼ぐみたいな(笑)。そうすると編集部の人たちも「頑張ってるじゃん」となって、独り立ちしても仕事を振ってくれそうな気がしていたから必死でした。当時の『POPEYE』には面白いスタイリストやスタッフがたくさん出入りしていて、NIGO®くんもライターをやっていたんです。
- ―――現在、各方面で活躍している方がたくさんいらっしゃったと。
- 古田とにかく、しのぎを削るようにいろんなものを集めてたんです。そうしたら、フリーになってから親しくなった方が、「古田くん、実はアメリカから面白いものを見つけてきたんだよ」って紹介してくれたのがチャムスのハリケーントップと、グラミチのショートパンツでした。ちょうどテバのサンダルが出てきてたり、’70年代のリバイバルでビルケンシュトックもブームになりつつあったりした時代です。
「この服、ちょっと変わってるよね」と。
「タグもなんでここに付いてるんだろう?」、
「この鳥はペンギン?」って。
「タグもなんでここに付いてるんだろう?」、
「この鳥はペンギン?」って。
- ―――初めてハリケーントップを見たときの印象は覚えていますか?
- 古田スタンドカラーが(愛知県の)中京高校の野球部(のユニフォーム)みたいだなって。
- ―――(笑)。
- 古田それぐらい斬新だったんですよ。当時はチャンピオンのリバースウィーブ® が流行っていて、どちらかというと厚手でリブも長いスウェットが多かったなかで、「この服、ちょっと変わってるよね」と。「タグもなんでここに付いてるんだろう?」、「この鳥はペンギン?」って。それを編集会議のときに「こんなのがあるんです。今、アメリカですごく盛り 上がっていて!」みたいにプレゼンしたところ、「じゃあこれで原稿書いてみてよ」と採用されました。
- ―――古田さんにとっては面白い新ネタだったんですね。
- 古田そのときのページをファイリングしてあるはずなんだけど、どこに行ったかな。確かグラミチと一緒に紹介して、〝日本初上陸!〞みたいな見出しを付けた気がします。それで、僕自身は白のハリケーントップを買いました。3年ぐらい、もう潰すぐらい着た記憶があります。
きっと大谷翔平選手が小学校のころに野球を教えた先生とかも、似たような気持ちなんじゃないかな。
- ―――ご自身でも着てたんですね。
- 古田はい。やっぱり自分で着たほうが説得力もあるし、頑張って紹介したものだから世に広まってほしいと思っていたので。当時はスナップボタンでVゾーンが開くスウェットっていうのが珍しくて、それが良かった。いつもインナーを工夫してレイヤリングで着てました。裾のリブの締め付けがなくて、インナーがはみ出る感じも良くて。
- ―――古田さんが白を選んだのも、もしかすると中京高校からのインスピレーションが理由ですか?
- 古田いや、それはさすがに(苦笑)。というか、当時は確か3色ぐらいしかなかったんですよ。白と、ほかは確かアメリカっぽい原色とかで。それからセレクトショップにも入るようになって、オンリーショップまでできるような規模になって。アメリカもの全盛の時代とはいえ、こんなに人気になるとは思ってなかったから。
- ―――現代の定番になっているようなブランドが、多く認識され始めた時代ですよね。
- 古田本当にそんな感じ。新しいものがいっぱい転がってたし、もちろん携帯電話もネットもなかったから、誰かが外国に行って買い付けてきたりすると、みんながこぞって食いついて。当時の僕はチャムスのハリケーントップにガンホーのパンツ、ニューバランスの1300とか、そんな格好をしてました。そういう時代に出会ったものが、今でもちゃんと残ってるっていうのがうれしいですね。
- ―――やっぱりそういうご気分になるんですね。
- 古田自分が紹介したっていう自負があるから、街で見かけてもやっぱり気になっちゃって。自分は大した関係もないのにね。きっと大谷翔平選手が小学校のころに野球を教えた先生とかも、似たような気持ちなんじゃないかな。
- ―――「しばらく見ないうちに、こんなに立派になって…」と(笑)。
- 古田そうそう(笑)。いろんなものを紹介したけど、圧倒的に消えていくもののほうが多かったから、余計にそう感じます。振り返ってみると、広げていったブランドほど消えてしまった気がする。それより、アイテム数は少なくても絞ってものづくりをやっているブランドのほうが、残ってるんじゃないかな。
僕、ファッションについて、話さなきゃいけない部分があるなって、最近すごく感じるんです。
- ―――チャムスが定番を大切にしたのは、正しかったんでしょうね。
- 古田うん。久しぶりにハリケーントップを見たけど、やっぱりいいですよね。当時はジャストで着ていたけど、今ならサイズ感はちょっと大きめで着たいなぁ。丈が短めだし、大きいシルエットでもかわいいだろうなって。ハリケーントップって、今はいくらするんですか?
- ―――今回ローンチする復刻シリーズで、1万4080円とのことです。
- 古田今もそんなに高くないんですね。…僕、ファッションについて、話さなきゃいけない部分があるなって、最近すごく感じるんです。
- ―――と、いいますと?
- 古田なんていうのかな。ファッションがある種オワコンみたいになってしまったところがあると思うし、自分たちの子供を見ていても、ファッションにすごく興味があるわけでもなくて。自分は性格的に「あんまり人に語って聞かせるのもなぁ…」と思ってたんだ。けれど、やっぱり誰かが伝えないと歴史が途絶えてしまうのでは、と思うようになったんです。
- ―――確かに。情報が多くて流れが早いぶん、昔みたいにじっくり掘り下げて広めていく、というようなことも難しくなりましたよね。
- 古田着こなしだとか、そういうことではなくて、そのブランドの変遷や僕らがどんな気持ちであの時代を生きていたのか、そういうことを少しずつ語らなきゃいけないよなって。
- ―――でも、古田さんを見ていたら、お子さんたちもファッションに夢中になりそうなものですけどね。
- 古田ならないですね(笑)。ただ、信用はしてくれていると思います。 高3と中2、ふたりの息子が「これとこれ、どっちがいいと思う?」 とか、「これってイケてるの?」とかって聞いてくれるんです。体格も同じくらいになってきて、僕の服を共有したりしてますよ。
- ―――自分のお父さんがどれだけ宝の山を築いてきたのか、いつか知ることになったら面白いですね。
- 古田デニムに関しては、気付き始めたみたい。「お父さんが死んじゃったらこのデニム、売ってもいいの?」って(笑)。僕も「いいよ、好きにして」って言ってます。
- ―――(笑)。今の息子さんたちに、当時のご自身を重ねたりされますか?
- 古田やっぱりしちゃうなぁ。服が好きだなと自覚したのが、僕は中2だったから。そのころは大人の服を着ても似合わないし、子供の服を着るのもイヤで。それで、雑誌を見たらいろんなルールとかアイテムの名前だとか、細かいことがいろいろ書いてあって、それを覚えることから始まりました。 そのころ買ったリーバイスのジーンズはいまだに残ってる。チャムスのハリケーントップも手放せない。あのころの服、久々にまた出してこようかな…。